サウジ・ジャーナリストの死、今後の展開は?

2018年10月2日にフィアンセとの婚姻手続きに訪れた在トルコのサウジアラビア領事館で、発生したサウジアラビア国籍ジャーリスト・ジャマル・カショギ氏の失踪事件は、「暗殺」された可能性が色濃くなった。フィアンセの女性も暗殺に加担しているのではないか?との憶測も流れた。

 

ジャマル・カショギ氏のジャーナリストとしての仕事は、現サウジアラビア政府と対立するサウジ社会の近代化や民主化を訴えていたから殺害されたのでは?と言う憶測だけでは説明できないのではないか?

 

 

 

彼の暗殺を予感させる映像がすでにYouTubeで流れている。

 

 

 

カショギが領事館に入る1時間前にムハンマド皇太子の側近が領事館に入る様子が録画されていた。 

https://youtu.be/NLZcmDeAy4Q

youtu.be

 

 

 


板垣 英憲(いたがき えいけん)

「マスコミに出ない政治経済の裏話」

カショギ記者は、王政打倒をめざす「ムスリム同胞団」に属し、「黒い貴族」=「アイゼンベルグ」と関係深い「死の商人」を叔父に持ち、「ムハンマド皇太子」を敵視し殺された?

本日の「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」
カショギ記者は、王政打倒をめざす「ムスリム同胞団」に属し、「黒い貴族」=「アイゼンベルグ」と関係深い「死の商人」を叔父に持ち、「ムハンマド皇太子」を敵視し殺された?

◆〔特別情報1〕
 サウジアラビア人のジャマル・カショギ記者がトルコの在イスタンブールサウジアラビア総領事館で行方不明になった事件で、米ポンペオ国務長官は10月16日にムハンマド皇太子と会談し「この件への対応次第では国王として将来が危うくなる」と警告したという。ムハンマド皇太子が10月2日、暗殺部隊(15人)をサウジアラビア総領事館に送り込みでカショギ記者を殺させたとみられているからだ。米国は、サウジアラビアから石油を買い、代金をニューヨークにある米国の銀行に振り込み、管理してきた。サウジアラビアに兵器を売り、預金から代金を支払わせて、自由に使わせなかった。これに対して、ムハンマド皇太子は、2030年までの経済改革計画「ビジョン2030」を承認し、石油依存型経済から脱却し、投資収益に基づく国家を建設していくことを最大の目標にして、「危機に立つ王制維持」に取り組んできた。

カショギ記者は、王政打倒をめざす「ムスリム同胞団」に属し、しかも、「黒い貴族」(米国最大の金融マフィア、麻薬ネットワーク)と言われる「アイゼンベルグ」と関係の深い「死の商人」を叔父に持ち、表向きは、ジャーナリストとして活動し、「ムハンマド皇太子」を敵視する論調を展開してきた。このために「始末されたのではないか」と観測されている。

https://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken/e/6c06b555b386fa14abb4cf0d04353a26

blog.goo.ne.jp

 

 


2018年10月18日

・カショギ(反体制サウジ記者)殺害に見る
トランプとMBS(サウジアラビア皇太子)

(PC・スマホ 

http://chokugen.com/opinion/backnumber/back_h30.html

(携帯) 

http://mobile.chokugen.com

 

 

 


イスラエルと関係が深く、日本の原発を管理する黒い貴族アイゼンベルグ家とは?

アイゼンベルグ家は日本と密接に関係している

アイゼンベルグ家はイスラエルと関係が深く、MI6と共に「モサド」や「CIA」の設立にも関わっていました。特に、日本国籍も有していたショール・アイゼンベルグが有名です。

アイゼンベルグと関係の深い日本人では、永野重雄、里見甫、中曽根元総理、麻生元総理などがいます。黒い貴族を記事に書いても、多くの読者は自分と関係ないと考えています。果たしてそうでしょうか? 例えば、日本の原発はアイゼンベルグ社が間接的に管理しています。原発問題に関心がある人は、この記事は必須です。

https://ameblo.jp/walker-memo/entry-12249965157.html

ameblo.jp

「黒い貴族」と言うよりも「黒いヒョットコ」だろう。

 

 

 

 

トランプ政権にもアイゼンバー

駐イタリア大使
ルイス・M・アイゼンバー

Eisenberg, Lewis M.

https://en.m.wikipedia.org/wiki/Lewis_Eisenberg

 

 

 

ショール・アイゼンベルグ

https://blog.goo.ne.jp/yamanooyaji0220/e/d6070925e98eb89842b44bd0585801ac

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 日本に対する情報工作がどのような形で進められるかをより広い角度から眺めるために、政治、金融面での単なる情報工作の枠を超えた秘密工作の中身を見る必要がある。それにはイスラエルの誇る一人の人物が携わっている。
 その人物の名前はショール・アイゼンベルグ

極東で過去50年間工作に従事してきた億万長者である。彼はイスラエルのためだけではなく、アメリカの情報組織のためにも働いてきた。事実、アイゼンベルグは極東での米・イスラエル共同作戦の橋渡しをする重要人物の一人だった。だが、彼の活動や事業は極東にとどまらない。これから見るように、アイゼンベルグの世界を股にかけた行動力は、国家や文化といった彼のアイデンティティーを超えたもので、静かなる 「へンリー・キッシンジャー」 とさえ言うことができる。

 ビジネスマンと言うにはあまりにも秘密の部分が多いアイゼンベルグという人物を正しく捉えるには、彼の出生地、1926年のドイツのミュンへンにまで遡らなけれぱならない。何人かのイスラエルのジャーナリストが彼の出生の真実を探ろうと試みたが、イスラエル当局から咎められた。そうしたイスラエルのジャーナリストの一人、イーガール・ラヴィブは、アイゼンベルグが組織犯罪に関与していた多くの事件を暴露しようとした件で三ヵ月の禁固刑に処せられた。

こういった妨害があったにせよ、彼の出生地はミュンへンだと推定される。彼の両親は、ポーランドに属するガリチアユダヤ人で、19世紀終わりごろにドイツへやって来た。

 彼の子供時代、それにそのころの彼の両親のことは秘密のままである。だが、アイゼンベルグ一家はナチが政権を取ってからも急いで脱出することはせず、1938年までドイツに留まっていた。少年だったアイゼンベルグは、1938年から39年にかけて出国を計画した。ドイツアルプス越えの脱出は難しくはない。偽旅券を手に彼はとうとうスイスに逃れた。そして猛威をふるうドイツ軍を避けながら、スイスから西ヨーロッパに移動を開始した。彼に関する記録を見ても、どのようにして彼がこのヨーロッパにまたがる逃避行を無事やりおおせたのかは決して分からない。いずれにしても、1940年の終わりにはアイゼンベルグはオランダにいた。


 戦時下のドイツを脱出


 ここで注目する必要があるのは、1938年以降にドイツから脱出できたユダヤ人がほとんどいなかったという事実である。ドイツにおいてはナチの手でユダヤ人法が1933年から34年にかけて制定された後、1936年からはユダヤ人狩り強制収容所への移送が始まった。1938年までに、在独ユダヤ人は事実上全員が収容所に送り込まれつつあった。ドイツにいたもう一人のユダヤ人、ハインツ(後にへンリー)・キッシンジャーも、同胞が被った運命を逃れるべく1938年にドイツを脱出したというのは、何とも皮肉である。

 当時のドイツ国内で一体何が起こっており、また何百万人ものユダヤ人が脱出できなかったにもかかわらず、特定のユダヤ人がどうしてドイツから出国できたのかを理解するためには、今まで語られていなかったことを話す必要がある。どのようにしてキッシンジャー一家は脱出できたのか。ゲシュタボが捕えにやって来る前に、ショール・アイゼンベルグのような比較的貧しい労働者階級のユダヤ人がどうして脱出することができたのか。

 ヨーロッパにおけるシオニストの組織は比較的弱体であり、ユダヤ人の移民を担当するユダヤ機関で、その頭文字を取ってモサドと呼ばれていた組織には、ヨーロッパのユダヤ人を救うだけの資金も能力もほとんどなかった。ドイツにいたユダヤ人の間では、シオニズムは大きな運動にはならなかった。彼らは自分たちが良きドイツ人としてドイツに同化していると思っており、その多くは第一次世界大戦ではドイツのために戦った。したがって、アイゼンベルグキッシンジャーのケースはもっと注意深く調べてみる必要がある。

 歴史的に見て、ドイツにいたユダヤ人はドイツ共産党を牛耳っていた。社会民主主義者、共産主義者を問わず、労働者階級による政治運動が始まった当初から、ドイツのユダヤ人はこの運動を主導し支配してきた。また、当時ドイツのユダヤ人の多くはドイツ共産党(KPD)の党員であり、モスクワの支配下にあった地下組織の共産主義インターナショナルコミンテルン)に参加していた。コミンテルン、それにソ連中枢のスパイ機関(NKVD)とソ連軍情報部(GRU)第四局は、幹部諜報部員をヨーロッパから徴募するという秘密の方針を立てていた。モスクワと関係のある家族に特に目がつけられ、多くの場合、単に個々人の機知や賢明さに基づいてヨーロッパから連れ出された。


 キッシンジャーとは何者か


 だが、ドイツのユダヤ人には脱出のための特別の手が差し出された。シオニスト機関は、在独ユダヤ人についてはパレスチナに喜んで移住する者だけを受け入れた。つまり後にイスラエル国家となるパレスチナに移ることを約束した者だけを助けたのである。

 国際救助委員会といった組織を通じて何とか脱出しようとした人々もいたが、彼らはソ連英米の諜報員の人たちだった。したがって、アイゼンベルグとかキッシンジャーのような人たちが、少年時代にこういった情報組織の一つにその才能ゆえに抜擢され、後にこの情報組織とのコネで出世したということは充分有り得る。
 いずれにしても、アイゼンベルグキッシンジャーの両者について言えるのは、二人のナチス・ドイツから脱出した経緯、そして後に情報合戦の国際舞台で大きな役割を果たすようになったことを考え併せるとき、もともといかなる基盤もなかったところからどうしてかかる権力者の地位にまで上りつめることができたのかが、不可解だということである。ところでキッシンジャーは大々的に名前が売れ、世間の脚光を一身に浴びているのに対し、アイゼンベルグの方は全くその逆である。


 上海から日本ヘ


 世界が第二次世界大戦に突入した後、アイゼンベルグはオランダを出て中国の上海に移ろうとした。一体全体、どういうわけでアイゼンベルグのような人間が、上海のような場所で骨を埋めようなどと考えたのか。当時の上海は陰謀が渦巻く世界、堕落、生き馬の目を抜く激烈なビジネスといったことが同時に起こる所として、その評判は凄じいものだった。

 上海に行こうとしたことは、アイゼンベルグのミステリーの中でも極めて興味深く、かつ陰謀の臭いのするところである。というのは、上海は、日本、ソ連、イギリス、ドイツ、アメリカをはじめ、すべての国の対中諜報活動の拠点が置かれた街であったからである。この街はまた、ロシア人とユダヤ人亡命者の世界最大の共同体が存在した場所でもあった。

 上海は、当時の主だった情報機関のために働いていた工作員や情報提供者、スパイたちの巣窟だった。そして亡命ユダヤ人の多くは、コミンテルンやGRUの情報組織のメンバーだった。イギリス人のために活動した者もいたし、日本人のために働くようになった者も一部いた。

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アイゼンベルグ商会

http://993666hz.com/2017/07/post-1631/


993666hz.com


ショール・アイゼンベルグの妻は永野重雄家の娘(長女)の可能性。
では、1940年頃に結婚したのはいかなる縁なのか?
この事を考察するには、永野重雄の長兄・永野護について調べてみる必要があります。
永野護(ながの まもる、1890年9月5日 – 1970年1月3日)は、日本の実業家。政治家。衆議院議員参議院議員島根県濱田市生まれ。戦後揃って政経財界で活躍した「永野六兄弟」の長兄。
……
護の東大の親友が渋澤榮一の子息だったため、渋澤は護の苦境を知り、息子の勉強相手という名目で月額50円の謝礼を出した(2010年代前半の貨幣価値では約40 – 50万円に相当)。護はそれを郷里に仕送りし、弟妹の養育費に充てた。弟5人は全員大学に進学している。東大法学部を、後に最高裁判所長官を務める田中耕太郎に次ぐ二番で卒業。就職先には事欠かない立場であったが、渋澤の秘書・顧問弁護士となり、後半生を渋澤の番頭格として尽くした。
……
戦後、出所後の岸信介を会長、社長を足立正、取締役に永野、藤山愛一郎、津島寿一、三好英之、監査役・瀬越憲作とする東洋パルプを設立。広島銀行をバックに広島県呉市に工場を建設するが、うまくいかず王子製紙に売却した。1956年、広島県選挙区から参議院議員に当選。同年、対フィリピン賠償交渉の全権委員を務めた。

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上記、アイゼンベルグ社とは、自民党麻生太郎麻生セメントの親会社が、ラファルジェ(フランスのセメント会社)であり、そのラファルジェの親会社がアイゼンベルグ社なのです。

https://blog.goo.ne.jp/takaomorimoto/e/62274b3bfcc090c08b88e9525d7bd39c

blog.goo.ne.jp


麻生セメントの親会社フランスのラファルジュの更に親会社がアイゼンベルグであり、昭和通商で里見甫の部下だったのが麻薬売買右翼の大物・児玉誉志夫、岸信介佐藤栄作池田勇人らだった。中国阿片密売で荒稼ぎした里見とアイゼンベルグの資金が戦後の日本の権力者を生み出して来た。

里見甫(さとみはじめ)

https://bit.ly/29mXc9C

アヘン王里見甫(さとみはじめ)

https://blogs.yahoo.co.jp/morioka_hisamoto/42765589.html

blogs.yahoo.co.jp

【日本史】日本の麻薬王から見る現代史

https://ameblo.jp/bcdiohdrtjk/entry-12157995946.html


ameblo.jp

この満州アヘン人脈を知らずして、戦後属国支配・売国政治番頭輩、特別会計資金還流システムの闇には踏み込めません。戦中の関東軍戦費調達アヘン人脈から既に始まっている訳です。

 

 

 

 

Rothschild-121  麻生太郎 

https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1219.html


吉田茂 

http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1218.html


中国の阿片市場は、イラク出身のサッスーン財閥と、サッスーン一族と複雑に婚姻関係を結んだロスチャイルド家、また同じくロスチャイルドと縁戚関係にあるジャーディン・マセソン商会が支配していました。


また、イギリス最大の銀行である、HSBC香港上海銀行)もこの阿片の利益から、サッスーン、ロスチャイルド、ジャーディン・マセソン商会、ベアリング商会が出資して設立したものです。


サッスーンは、中国国民党を支持していましたが、中国共産党とは折り合いが悪く、最終的に中国共産党が政権をとると、サッスーンは中国での阿片市場を支配するのは困難になってきました。

そこに目をつけたのが、里見甫(さとみはじめ)で、三井・三菱を背後にした資金力で、関東軍と結託して阿片取引組織をつくり、阿片王と呼ばれた人物です。 彼は、関東軍影佐禎昭大佐の指導で中国の地下組織青幇や紅幇とも連携し、上海でのアヘン密売を取仕切る里見機関を設立しています。


関東軍の嘱託となり、情報収集・宣伝を担当し、国策会社満州国通信社(国通)の設立に関わり、初代主幹に就任しました。

/////以下は割愛//////(続きはサイトを参照ください)

 

 

 

 

ユダヤの告白 その12 

投稿者:Legacy of Ashesの管理人

投稿日:2017年 3月15日(水)00時44分39秒 

https://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/3879

 

 


闇でうごめく裏社会

投稿者:Legacy of Ashesの管理人 投稿日:2016年 8月30日(火)16時28分17秒 

 https://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/3750

 

 

 


《上記への感想》

サウジアラビアのジャーナリスト・ジャマル・カショギ氏の殺害は、当初推論を少しずつ濃厚にしてきています。日本の副総理である麻生太郎氏にもその歴史的経緯と関連性が見えてきました。今後は、日本のメディアがどこまでサウジアラビアのジャーナリストの失踪問題を日本の副総理に関連付けることが出来るのか?それとも阻止されるのか? ここは報道を見守っていきたいと思います。

10月16日以降の日本メディアの取り扱いがメインである事、そして憶測である凄惨な殺害方法を割愛せずニュースで流すことを不思議に思ってきた人達にとっては、その意図が少しづつ感じられてきたのではないでしょうか?
 
以上