優生思想発言により除籍された大西つねき氏の説明と解説

 

 

FB 鹿又隆志氏のご意見

(このサイトの最初に大西つねき氏の自説の詳細説明Youtube映像があります)
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=724554064782136&id=100016826472740






FB Chihiro Sato氏の解説

【死のタブー】

大西つねきさんのれいわ新選組除籍のニュースを見ていて、死のタブーが社会を支配しているのを感じた。

タブーというのは、いかなる事情であれ、どんな背景があるのであれ、とにかく「絶対にいけないもの」と皆が思い込むもののことだ。議論の余地はない。頭から「いけないものはいけない」ということになって、かなり感情的に排除されることになっている。

これまでにも、いろいろなタブーがあった。ほんの50年くらい前までは、セックスだってタブーだった。宗教の世界では神さまに疑問にはさむのがタブーだ。それは公に語ってはいけないものであり、語った場合はヒステリックな攻撃とともに排除されることになる。そんなのがタブーだ。

人はタブーによって容易に支配されてしまう。タブーが関わってくると、人は完全に判断力を失う。そして、思いのままに操作されてしまうことになる。それは歴史を見ればわかる。セックスや神さまのタブーで、一体どんな理不尽なことがすべて公然と行われてきたことか。

その中でも、死のタブーは最後まで残る最も大きなタブーなのかもしれない。とにかく死なないようにすることが大事で、そのためにはいかなる犠牲の強要も許されるということになる。コロナはまさにそんなタブーを直撃したような状況だ。コロナ感染による死者を減らすのが最優先で、そのためにはいかなる犠牲も払うことが強要されている。それによって死ぬ人がいたとしても、それについては語られていない。

だから、命の選別は現実に行われているのだ。語られていないだけで、行われている。それを行われていないかのように見せかけているものこそが死のタブーだ。大西つねきさんは、そのタブーを破って、本当に命を大事する社会に世の中を解放しようとしたんだと思う。

ドイツでは、医師のディスクロージャーのグループができて、コロナによる規制のために死の危険にある人々がたくさんいることを訴えていた。救命のための人工呼吸まで自粛の通達があったり、必要な治療を受けられないために死ぬ人もいると。そうなるとまったく現実的に、どっちを優先するのがいいのか、という話になる。その話をできないようにしているのが、死のタブーなのだ。

現代の医療は、とにかく死なないようにすることしか考えられていない。どのように生きて、どのように死ぬのかということは問題にされず、ただ死なないようにすることだけなのだ。とにかく死はいけないもの、最悪のものであり、何があってもいかなる犠牲を払っても避けなければいけないものということになっている。

そもそも死とは何なのかということも語られない。ただ避けなければいけないものだということにしかなっていない。人間は誰でも必ず死ぬので、死ぬときが来ている人が何かの病気にかかって死ぬのはまったく自然なことなのだ。人は病気にかかるから死ぬと思われているけれど、そうとも限らない。死ぬときには人は病気になるのだ。それはまったく自然のプロセスだ。

大西つねきさんが「命の選別」なんていう言葉を敢えて使ったことで、タブーの存在がくっきりと浮き上がってきた。このタブーこそは、今解かれるべきものなんだと私は思う。だからこそのこの大騒ぎなのだと。

だから、れいわの人たちが大西つねきさんの言うことを理解しないで排除してしまったのも、まあ当然のなりゆきと言えばそうなんだと思う。タブーというのは、大多数の人が無意識に支配されているものなので、それを見抜ける人はごく少数だ。だから、れいわの代表がそれを受け入れられなかったのも、無理ないといえば無理ない。そして、発言取り消しと謝罪を要求するという、表向きを取りつくろうような、実に保守的なやり方になったのだけれど、それもタブーに触れたときの典型的な反応だと言える。

それに対して、大西つねきさんが謝罪を撤回したのは、さすがだと私は思った。お金のタブーを破ったこの人は、死のタブーも破ろうとしている。言葉が足りなくて激憤を買ったというのは事実だと思う。だけど、これはこれまでずっとタブーだったことなのだから、十分な言葉を知る人などまだいないのは当たり前だ。最初に一歩を踏み出す人は、誰だって最初から理解されないのは当たり前のことなのだ。
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=3783969354951877&id=100000165488492

 

 

 

 

《能村聡氏のご意見》
命の選別という言葉が物議をかもしている。優生思想や生産性で命の価値を評価してはいけない。自分は社会に選別などされたくなけれど、生命維持技術でただ生きているだけで自分が幸せを感じない延命治療は拒否したい。それは選別ではない。自分で「選択」できる仕組みがいい。

 





《私の感想》

Chihiroさんが指摘した「死のタブーに踏み込んだ大西つねき氏」への理解が広まり、除籍を決定したれいわ新選組内の認識が高まることにより除籍により凍りついた亀裂が元に戻り、円満な大西つねき氏の復帰劇が起きる事を現在の私は望んでいます。今後どの様に「死のタブー」に対する多重多層的複眼思考が醸成されるのか?それとも溝は更に深まるのか?
ここ注視ポイントですね。分かりやすい文章表現をありがとうございます。

 

以上