陰陽一体の効用

 

 

2017年、この世は、潜在意識と顕在意識の隔壁が、今迄無いほどの “薄さ” を体現しています。これは比喩ですが、内実の変化を各々が日常で感じているのではないでしょうか?!

 

 

 

それは『祈り』を潜在意識のもう一人の自分自身に捧げる事で、その祈りが自身に還ってきていると実感できる事です。

 

 

 

還って来たお祈りの返答は、微かな、微々たる変化かもしれません。気を許していたら全く返答を感じられないくらいの小さなものかもしれません。でも、耳を澄まして、素肌感覚の感性を開いてその返答を感じ摂ることが重要ではないかと思います。

 

 

 

 

 

お祈りとは、素直な赤誠の心で、現状の自分自身の心を感じる事、そして、その心にどこか異常を感じた時に、基(素)の基本的な意識状態に戻す事を「スジを通す」と表現すると思いますが、自分自身の在り方が、何らかの影響で基本的な立ち位置や姿勢がズレていると感じた時、その在り方を基(素)に戻したいと言うお祈りであれば、半日もかからず、それこそ昼寝しただけで修正されている事を感じるのではないでしょうか?!

 

真剣とは、潜在意識からの返答を感じ、その返答に感謝して「顕在」と「潜在」のコミュニケーションのプラットフォームとなり得る自分自身と成っているか?と言う要件を満たしているか?

ここが、継続的な流れになっていれば、「奇蹟が、普通の出来事」になるのでしょうね。武道やプロアスリートのメンタイリティにも通じる雛形だと思います。ここ、「お祈り」は、「イメージング」なんですね。

 

陰陽一体の効用=「潜在」が陰、「顕在」が陽とすれば、感謝する橋渡し役の自分は、既に大自然と一体に繋がっているので、その極みに存在する自分自身を感じれば、「自由自在」を体感出来るようになると思います。

 

 

 

 

 

 

但し、潜在意識にいるもう一人の自分は、非常に寛容の精神が溢れています。要らないモノを背負っても、それを良しとしてしまうので、顕在意識の自分に不調和を感じるモノでも受け容れてしまいます。そこに善悪は無いですね。

だから、善悪に捕らわれてしまう顕在意識ばかりを「祈り」と称して、願望実現の「我」を通したい欲求に返答して頂けない状況を感じたら、その分、「他人の幸せ」=「社会益」を意識した行動を積み重ねることが望まれます。これは打算や計算の末に上手く行くとは限りません。心からの赤誠な心根があれば良いのですが、他人の幸せを自分に重ねる打算や計算は、潜在意識には届きにくいと思います。ここは皆様ご存じの通りだと思います。

 

 

 

 

上記を書き込む私ですが、既存宗教組織や思想団体等に一切与する事も無く、今後においても所属する予定も計画もありません。

 

 

 

 

以上です。