UFO/スピリチュアル界の現代史と感想

UFO/スピリチュアルと言えば、学研ムー(月刊誌)が現在では代名詞のようになっていますが、それ以前はと言えば、数々の様々な印刷物・出版物があったことをご存知でしょうか?

 



news.livedoor.com

 


オカルト雑誌盛哀

https://mechaag.tumblr.com/post/122568674237/オカルト雑誌盛衰

mechaag.tumblr.com

 

★スピリチュアル雑誌の創刊年度順一覧表

1)UFOと宇宙 1973年~1983年 ユニバース出版
2)ムー    1979年~現在    学研
3)Az     1987年~1995年 新人物往来社
4)マヤ    1988年~1992年 学研
5)ワンダーライフ  1988年~1992年 小学館
6)パワースペース  1991年~1995年 福昌堂
7)ボーダーランド 1996年~1997年 角川春樹事務所

 

 

UFOと宇宙』誌のレビュー
http://www.adamski.jp/gap-japan/cosmo/

http://www.adamski.jp/gap-japan/cosmo/cosmo-dld.html

 

 


 

 

www.afpbb.com

 

 

 

virates.com

 

 

 

 

では、1970年以前のUFO/スピリチュアルムーブメントはどうだったのか?

 

◆手元に日本主要UFO研究団体略系譜が手元資料の中にあります。
推計で申し訳ないですが、1976年頃に日本UFO情報センターの志水一夫氏が作成した資料です。入手先は、1982~3年頃、五反田にあった荒井欣一氏の主宰するUFOライブラリーにて1950年代~1970年代にかけての日本国内におけるUFO研究界に関する各会会誌やその関連資料を無料配布やオークション販売していて、以下の内容もその資料からです。

資料作成者:志水一夫 (作家)のウィキ情報
https://bit.ly/2JxN2VG

 

備忘録として団体名を記します。

日本空飛ぶ円盤研究会 1955年設立 代表荒井欣一氏 東京品川
近代宇宙旅行協会   1956年設立 会長高梨純一氏 大阪
CBAインターナショナル    1957年設立 代表松村雄亮氏 神奈川横浜
日本GAP      1961年設立代表久保田八郎氏 東京江戸川
日本UFO研究会   1965年設立 会長平田留三氏 兵庫神戸
日本宇宙現象研究会  1971年設立代表並木伸一郎氏 東京渋谷
重力研究所      1972年設立 所長清家新一氏 愛媛宇和島
宇宙研究協会     1972年設立 代表山本佳人氏 山梨県甲府市
ユーホロジストクラブ 1973年設立 代表平野泰敏氏 東京?
日本UFO情報センター1973年設立 主幹志水一夫氏 東京杉並
日本空中現象研究会  1975年設立 代表 北島弘氏 東京目黒 
     


1976年頃に確認できただけで、これだけのUFO研究団体が存在しました。皆さんの中にはご存知の団体もあるのかと思います。
僕が注目しているのは、CBAインターナショナルです。

 

このCBAインターナショナルが、ワンダラー(宇宙流浪の魂)という用語を渡辺大起氏に伝えたと思われます。尚、確認できませんが渡辺大起氏自身もCBAインターナショナルのメンバーだったと考えられます。(CBAはコズミックブラザーフッドアソシエーションの略)

 

手元にある『宇宙友好協会(CBA)のあゆみ』を転記してみたい。
副題は『二十世紀最大のナゾに挑む』です。
(昭和35年9月25日印刷、昭和35年10月1日発行、編集人小川定時)当時の時代背景を加味して読まれたい。 

 

1)驚天動地の大事件
国際的にも国内的にも激動と混乱を続ける現代史の中に、それらとは比較を絶する全くの異質的、驚異的出来事が、一本の赤糸の如く歴史を編んでいる。それはまだ社会的にはにみれば細く小さいけれども、静かにかつ着実にそのあゆみを続けている。それはいうまでもなく空飛ぶ円盤と宇宙人に関する問題である。

この問題がやがて全地球人の関心の的となり、東西の対立などという現在の地球上最大の問題すらちっぽけなものとなり、地球自体が変貌するのにさえ今後大して時間はかからないでだろう。愛深き宇宙人の援助の手が差しのべられているからである。

CBAはこの赤糸の一本としての試行錯誤をつづけながらも着実な歩みを現在まで運んできた。その間さまざまの誤解や中傷、非難や背信行為にも堪えて来た。非力な我々をよく堪えさせたものとは、宇宙の真実に対するあくなき情熱と、真実は一つ、真実はついに世にあらわれ最後の勝利を得るであろうとの信仰にも似た確信であった。
更に特筆大書すべきは、直接的な宇宙人の援助であった。愛と英知において遥かにすぐれた宇宙人の直接の援助なくしては、今日のCBAはあり得なかったであろう。

今、CBAのあゆみを編年史風に発表するのは、単に流布されている誤解を解くためのみではない。われわれが過去にたどった道、かつ将来あゆみ続けるであろう道が新時代へ到る黄金の道であることを今なお確信をもっている。この道をふさぐことは何人にも出来ないことである。われわれはこの発表によってつまらぬ誤解がとけることを希望し、これを発表する意図を目ある人は読み取って頂きたいと思う。

 

2)CBAの設立
設立1957年8月 東京都有楽町九重にて。参会者 久保田八郎、松村雄亮、小川定時、桑田力、橋本健、小川昌子。
空飛ぶ円盤の飛来によって新時代の到来に目覚めた六名は、当時すでにあった日本空飛ぶ円盤研究会や、近代宇宙旅行協会の研究態度・・・宇宙人の存在を頭から否定し、目撃例の集計や地球人の想像的理論に始終し、アダムスキその他のコンタクトストーリーをありえる事として研究する態度に欠けていた・・・にあきたらず、むしろでき得れば宇宙人と友好関係に入り、地球上に新時代を築こうとして集まる。

会の名前を「宇宙友好協会」英訳Cosmic Brotherhood Association 略称CBAと決定。
久保田八郎は米国の著名なコンタクトマンアダムスキと親交があり、彼からの一切の情報を提供すること。
松村雄亮は世界第一流の航空雑誌 Interavia(英・独・仏・西の四カ国語版を出しているスイスの雑誌)の日本通信員である関係上外国で問題となるやいち早くUFOに興味を持ち、日本最初の研究団体 UFO Research Group in Japan を結成、全世界から莫大な資料を得て機関紙「UFO News Report」(英文)を発行し、円盤研究家として全世界に著名で、海外一流研究誌の特別会員・顧問・通信員等を兼ねていた。UFO Research Groupは発展的に解散、CBAに合流する。英文機関紙は廃刊。CBAの日本語版機関紙に合流すること。


3)CBAの基本方針
地球の全文明に変革をもたらす大問題であるから、相当規模の財団法人とすること。宇宙人の研究にはとくに意を用い、従来の宗教、類似宗教、心霊現象等と厳密に区別すること、等を申し合わせ、左の実践要綱を決定する。
一、宇宙の兄弟達とコンタクトし、すみやかに遊星間友好を実現する。
一、海外のコンタクトマンを日本に招聘し講演会を開く
一、世界の円盤研究家・コンタクトマンを糾合し、東京にて国際大会を開く。
一、講演会、展示会、映画、出版活動等を通じ啓蒙運動を行う。
一、機関誌を発行する。
一、総合円盤センタービルを建て、研究所、図書館、資料室その他にあて、屋上を宇宙機発着場とする。

 


4)CBAの研究活動開始

1957年8月~
設立の趣旨にそい具体化すべく直ちに行動に移る。まず実践要綱その他を含め、全世界130余の研究団体に手紙を送り資料交換、提携研究、機関誌に翻訳発表の許可等を依頼する。
一方、心あると思われる政治家・財界人・思想家・ジャーナリスト等を訪れ、趣旨を説明、地球文明の将来を訴えるも理解を得ることはほとんど皆無、かえって誇大妄想の徒か金を集めのたぐいと見られることすらあった。

1958年8月11日
わずかながら理解を示した小数の一人、経済同友会専務理事郷司浩平の斡旋により、新橋同友クラブにて麻生太賀吉他十二名と説明懇談会を開く。CBAより松村雄亮、久保田八郎、小川定時、桑田力出席。
全員興味を示すも具体化の話に到らず。

1958年1月
約5ヶ月の努力にもかかわらず、有力な後援は得られず、ついに日本に人物なきを嘆きつつ自分たちだけで小機関誌発行にまずふみきることにする。

 


5)機関誌「空飛ぶ円盤ニュース」創刊号でる

1958年3月
「空飛ぶ円盤ニュース」創刊号の編集に着手。印刷その他の関係で意外に手間取り、5月にようやく出来る。

1958年5月
「空飛ぶ円盤ニュース」創刊号(6月号)発刊。事務所は東京都国分寺局区内国分寺775。編集兼発行人は松村雄亮。
機関誌発行されるや反響は大きく、たちまち会員100名を突破する。

 


6)宇宙交信機の実験開始

1958年6月6日
かねて橋本健が試作中の宇宙交信機完成。深夜まで実験を行う。実験中、日本語で「ワタクシ・・・・ワ・・・・・ウチュウジン・・・・・アリマス」とたどたどしい声が入る。

1958年6月7日
第六回国際円盤観測日に参加、東京近郊の高尾山頂にて徹夜で観測。参加者約50名、日本最初の宇宙交信機使用。
翌八日未明5時頃、この日最初の実験を行ったところ、「ニッポンノミナサマ・・・・アメノナカヲ・・・ナガイアイダ・・・・・アリガトウゴザイマス・・・・」との言葉を17名が聞いた。
(このことが発表されるや、宇宙人が日本語を使うのはおかしいとか、宇宙交信機について原理上ありえないと非難する者《高梨純一等》があったが、宇宙人が日本語を使わないという証明は成立しないし、円盤研究を地球上の科学で割り切ろうとするのがそもそもナンセンスである。われわれとしては海外における実験の追試を行い、その結果を事実のまま公表したにすぎない。)

 


7)宇宙人の足跡?

1958年6月17日
午後1時50分頃、国電横浜桜木町駅改札口付近を歩いていた松村雄亮は、アダムスキーが宇宙人とカリフォルニアの砂漠で会見した際、宇宙人が残した足跡に酷似する足跡を発見。コンタクト・ストーリーに懐疑的であった同氏にショックを与える。

1958年6月24日
ボッブ・F・ガルシア氏米国より訪問。松村雄亮と円盤。宇宙人問題について種々懇談する。

1958年7月
米国NICAP(空中現象調査委員会 = キーホー少佐主催する円盤研究団体)からツァイツィヒ・カート氏来訪。円盤・宇宙人問題ならびに古代文化について種々懇談。

1958年8月
ソ連側の情報が入手困難なため、ソ連大使館アレキサンダー・ドウロフ書記官を通じ円盤の資料提供方を依頼。

1958年8月16日
第二回宇宙交信機実験及び観測会を徹夜で行う。東京都下国分寺跡。参加者約30名。ラジオ東京から2名参加しモールス符号様のもの録音。8月20日ラジオ東京から放送。

1958年9月16日~21日
東京日本橋三越本店において開かれた「ジェット・ロケット・人工衛星展」に参加。「これが空飛ぶ円盤だ」と題して写真・資料等多数を展示、多大の反響を呼ぶ。

1958年10月
アダムスキより世界一周の講演旅行に出る旨連絡あり。日本に立ち寄る場合の旅費分担金は三百ドル(約十一万円)とのこと。奔走するも調達できず、ついに断念する。

1958年10月13日
かねてドイツのUFO Nachrichten 編集長カール・L・ヴァイト、スイスのWeltraumbote編集長J・H・ラガツ両氏の招待状をもって会見を申し込んで来ていたカリフォルニア大学教授ヴェルネル・チンメルマン氏と帝国ホテルにて会見。氏はアダムスキとも面識があり、種々懇談の後CBAに強力を惜しまない旨約束され、メッセージを受ける。


以下割愛します。

 

 

そして、UFO宇宙人情報の最新ニュースはどうなのか?

 

 

PFC-JAPAN 20180113 古代ビルダー種族

人類の10億年の遺産の回収 P1 

www.youtube.com

 

 

PFC-JAPAN コブラ による地球解放年表

www.youtube.com

 

 

激動の2018年開幕 世界規模のリセットが差し迫る!レジスタンス・ムーブメント

www.youtube.com

 

 

<上記内容への感想>

すいません、人によっては理解しがたい内容だろうと思います。 しかし、このような内容を1980年代より不完全なテレパシー能力によってパッチワーク的ツギハギのそぎ落とし状態ながら、自分自身も受信していたのだという確信を得ることができて、非常に満足と同時に、より良い貢献ができたらという思いを持ちます。

上記3つのYouTube音声は、最近1ヶ月以内に視聴したのですが、自分自身の感性がこのような直接情報によって確認できて、今までの「ブラックシープ状態」の孤立した自分を突然、認めていただいたように嬉しくなりました。

と、同時にイビツで和合意識に欠けた自分自身の感性に、良くも悪くも感謝してます。

 

以上