家庭が、社会を構成する最小単位だとしたら、宇宙は、素粒子?それとも意識?

 

夫の「夕食は簡単にできるとんかつでいい」にキレる妻。日常に撒かれた “地雷ワード”を回避する方法

https://ddnavi.com/news/388163/a/

 

 

 

我が家も共稼ぎ夫婦。想い起こせば、圧倒的に僕の方が地雷ワードを踏んでいる。「配慮の無さ」は、嫁に言わせれば、「甘やかされ長男」だと思います。明治生まれの既に鬼籍の祖母は、長男教の熱烈な信者だったのです。そのお陰で、「考え無し」=「配慮が足りない」=「思いやりの薄い」男の子です。でも、今ではお婆ちゃんありがとう!

 

 

 

嫁には、「オレに鍛えられて、人格者になれたじゃないか」と上から目線で、愛憎のトロ火を怒りの紅蓮炎に変えて、鼻の小じわを額の青スジに変えます。そして、鬼嫁が出来上がりました。責任は生きている限り取りますよ。「死ねたら楽だ」なんて、言いませんよ。

 

 

 

甘やかされた男性と結婚し、スィートな気分も落ち着いて、お互いの育った家庭で培った『習慣』が火花を散らし、そこにアートを感じるか?それとも・・・・。 でもね、お互いの忍耐、我慢大会の先に、「巧妙な幸せ」が待っているよ。だってね、夫婦はお互いがお互いに「フーっ、フーっ」って言い合いの末に夫婦らしくなるのですから。

我慢の「フーっ、フーっ」か、威嚇の「フーっ、フーっ」かは、どうでも良いのです。

 

 

 

 

 

「自分はまるで下女か召使いのように、こき使われる立場でした。家族の誰からも尊重されませんでした」と語る女性もいらっしゃいます。

 

 

 

「愛憎反転」と言う言葉を信じて、先の真っ暗闇をも気にする事もなく、奉仕の先に見えて来た「何か」がありますでしょうか?憎しみも愛に繋がっている事の本意は・・・。

積み重ねは、雨水が石にも穴を通すって事ですよ。ごめんなさいね。僕の経験でしかモノを言えない狭い意見でしかないですが、誰かと比較して、これは幸せか?なんて愚考だと思います。「置かれた場所で咲く花の心」と言う言葉があります。隣の芝生は青く見えるものですよ。

 

 

 

 

黒く見えるモノの中に、柔らかな白美を探す修行を身近な家族との摩擦の中で格闘しているのですよ。善悪二元論ですと、他者との比較をしがちですが、多重多層的複眼思考で、その格闘をしている自分自身を客観視し、魂が磨かれて「輝き」を手にしている自分が見えているか?とお受け止め頂けたらと思います。

 

 

 

地縛霊が物質化して自分に近づいてきたら、その地縛霊をハグする人類愛の覚悟を持てば、全てを変えるパワーを持てます。合気道の開祖植芝盛平氏が自分を殺しに来た刺客とも友人になれると言う生き様を示す伝説をお持ちですが、実際に出来るか?の前に、その発想を受け容れる事で、未来の可能性が変わりますから、宇宙の最小単位は意識や想いですよ。

植芝盛平氏ウィキ情報

http://bit.ly/2tq3eEI

 

 

 

宝くじで1億円当たった人の末路

マネーの専門家、マネーフォワード取締役の瀧 俊雄氏に聞く

http://dual.nikkei.co.jp/article.aspx?id=10857

これも心とモノのお勉強ですね。

 

 

以上です。